石膏旅行記

あくまで阿呆な、エジプトの旅(by isabonさん)

石膏
アスワン、ルクソール、アブシンベルでのタクシーのご相談、ご用命はここでできます。
  • http://blogs.yahoo.co.jp/isamu32003/3197389.html


  • 写真は期間限定でここに入れてます。興味ある方は見てくらさい。でも、見どころは余り入れてません。行って見て感激してね。
    カイロ
  • http://picasaweb.google.co.jp/isamusan.shimizu/qNkrzD#

  • 西方砂漠
  • http://picasaweb.google.co.jp/isamusan.shimizu/xmydOK#

  • メンフィス周辺
  • http://picasaweb.google.co.jp/isamusan.shimizu/bzQxQF#

  • ルクソール以南
  • http://picasaweb.google.co.jp/isamusan.shimizu/RHgtqG#

  • アレクサンドリア
  • http://picasaweb.google.co.jp/isamusan.shimizu/oAjbuF#


  • 個人旅行のテクニックについては、マダガスカル旅行のところに書いていますので参照下さい。
    今回のエジプト旅行の計画では、過去の失敗を繰り返さない、と頑張ったが、やはり同じようなトラブルを繰り返した。他の問題点と共に列記すると下記となる。
    ①航空券予約を急ぎすぎた。つまり1月末の出発に対して、6ヶ月前の8月初め頃からスタートし、エジプト航空直行便で定価111,000円を発注したが、翌月、大韓航空の90,000円台が発売された。
    エジプト航空は直行便で大韓航空はソウル乗換となるが、共に、到着時間は21:00時台となっている。つまり大韓航空利用の場合は成田を午前中出発となるわけだ。
    まあ、本件に関しては好みがありますけどね。
    なお、AEROFROTだと40,000円台ですね。KLMだと80,000円台だけど、共にヨーロッパ経由で、特にKLMは、現地の着発が夜中やちゅう不便さがあります。それにヨーロッパ経由は燃料費が多めになるので、定価だけで比較しては駄目です。でも、40,000円台のAEROFROTを試してみたいですね。モスクワでのトランジットだから、それほどしんどくはないしシベリヤの上を飛ぶのも面白いですよね。モスクワ観光も良いが、1月はちょっと寒すぎますね。
    でも、今回のエジプト航空の帰路は、日本人グループがいっぱいで、economyを追い出されて、businesに乗れるって幸運もありましたがな。
    ②今回は大学時代の友人3人と同行(大阪、千葉、名古屋なので、現地集合、離散)だが、ホテルはシングル希望であり、カイロでは往路帰路合わせて合計8泊、総計延べ22部屋泊となった。8月後半にはHOTEL アラベスクでのメール予約を始め直ぐに決まったのだが、11月に再確認すると、始めの2泊だけは空いているとの回答であった。彼らには部屋数、日数ともに多すぎてリスクが有りすぎたのだろう。感心している場合ではない、と急いで探し、BERLIN HOTELってホテルで予約できたが、我々の滞在が長くてキャンセルされると大損害になると、再三メールされたので、日本人の誇りに掛けて泊まると返信し続けた。
    ③バハレイヤオアシスの予約はオアシスのwest-desertホテルと連絡して、カイロ往復130ドル、砂漠一泊オフロードツアーは150ドルで予約した。他のホテルにも問い合わせたが同じような価格であった。どうやら談合しているらしい。まあ、高めだが、3人で割りかんだから、まあまあちゃいますか。でもカイロの旅行業者を使いバハレイヤオアシスに行く途上で、ワディイルヒタンで宿泊するプランも出来たかもしれない。だが、砂漠行きは最後に調整したので、日数的に不足となった。砂漠ツアーが高いちゅうことも問題ですしね。
    ④アブシンベルとアレクサンドリヤでは、安いホテルにはMAILが無く、予約が出来なかった。FAXを送ったが返事も来なかった。FAX後に電話したが、話が通じず、電話代も馬鹿にならないので、、現地で予約することにした。
    てなことで、僕らはバックパッカーではなくて、ちゃんとサムソナイトを用意して、着替えは下着5換え、ズボン、Tシャツも多数って準備です。友人達はルクソールからアスワンまでナイルクルーズを楽しみ、アブシンベルから帰路はカイロまで飛行機に乗るなんて豪勢なものです。でも、僕は本来の個人旅行者らしく、もっと安い道を選んだのですが、それでも経済的ホテルよりは中級を選ぶとかの年寄りらしい贅沢はしてしまいました。何よりもゆっくりと一箇所に長く泊まる点が、若者の旅とは基本的に違う点ですね。そもそも年寄りは若者ほどには迅速な行動ができないのです。その理由は年を取ると判るようになりますわい。ごほっほほほほ。
    では、旅の本題に入りましょうね。

    今回も席の予約が出来てEチケットで楽々とチェックインできた。で、復路のreconfirmが必要かと聞いたが、必要ないとの答えがあった。でも、こわいから、やっぱりreconfirmはやっておこう、と考えた。ところでチェックインを待ってる時に、僕の後ろに並んだ体がでかく色がどこまでも黒い、自称ナイジェリヤ人の若い兄ちゃんが話掛けてきたのだが、ちょっと相手していると、「あんたの荷物は小さいね。僕のは重いから一緒にチェックインすれば50kgまで大丈夫だよ」との申し出だ。もっと若い時なら、可哀想にと考えて協力したかもしれないが、日本人の優しさをカモにする人間が多いって知った今では、そうは問屋が卸さない。で、「僕の軽い荷物の面倒を見てもらう気はないし、あんたの荷物の責任まで持てるかいな」と頭の中で考えて僕は黙って無視することにした。で、僕の順番が来て、空いたカウンターの前に進み出ると、受付嬢が「ご一緒ですか?」と聞くので後ろを見ると、後ろに兄ちゃんが付いてきていた。「違います」と答えると、兄ちゃんも日本語で「違います」と答えて戻って行った。
    飛行機の中では、窓際の僕の後ろに黒人が座り、その横の通路にその友人が立って話をしていたが、離陸前に立ったまま話しているので、スチュワードが通路の男に、席はどこですか?と聞くと、僕を指差した。あれれ、ダブルブッキングか、と僕は少々慌てたが、なんと通路に立つ黒人は、窓際の僕の席に座りたいと僕を指さしたんだってさ。スチュワードは「what can I do?」と答えていたが、誰も何も出来る筈もないやろが、と僕は思った。飛行機が飛び上がると、またその黒人が通路に戻って来て立ったまま、窓際の黒人と、延々と大声で話し続けた。しかも、飛行機の飛んでる最中とか、着陸時には、荷物入れに入れてあるその男の荷物の中で、携帯のベルが何度も鳴っていた。どうもアフリカの黒人って、かなり図々しいらしい。それにしても、飛行機の中で携帯が鳴るって不気味だよね。
    こりゃ黒人には注意せなあかんなと考えたのだが、この警報にも拘わらず、ASWANのヌビア人には酷い目に会わされてしまった。そうそう、飛行機の離陸が30分も遅れたが、なんでも、一旦乗った人がキャンセルしたので、荷物を降ろすのに手間が掛かったんだってさ。どうも、このラインは変わってる人が多いのとちゃいますか?

    窓際に座ったが、離陸後は雲ばかりが見えるだけで、直ぐに夜を追いかけることになって、窓際の意味が全くなかった。横には体の大きな日本人青年で、窓際に座った結果は、トイレに行くのが鬱陶しいだけであった。カイロ空港着が21:00着予定が1時間遅れ(何故か離陸時点から到着時間の放送は1時間遅れだった)で、60LEでホテルに頼んだTAXIがまだ待っているかが心配であった。心配事はいろいろあって、空港でいくら交換するかが問題であったし、できるだけ小銭が有るようにと紙に交換紙幣の枚数も書いて準備しておいたが、銀行員はおかまい無しに100LE紙幣で交換し、小銭が欲しいと言うと、50LEを少し混ぜてくれた。結果として、いろんな心配は杞憂で、100LEもしばしば必要となったし、この国では、交換率は全国で同程度だし、どこでも容易に交換する銀行がみつかるのだ。なお、1LEとは20円程度です。
    そもそもカイロ空港では、VISA印紙を買う必要があるものの、入国審査前に銀行で交換できるとか、荷物検査場に観光業者が入り込んでいるとか、変な状況があったが、真夜中の12時近くに検査場を出ると直ぐに、僕の名前を書いた紙を持つ男が待っていて、心からほっとしたのだ。
    カイロの印象は、とっても寒いってことで、日本から暖かい国に行けるとの夢はかなわず、着いたホテルの入り口の寂れた有様や、エレベーターのぼろな有様にも情けなくなった。部屋はとっても広く寒さが余計に身に染む感じで、シャワーは暫く流して漸く暖かくなった。余りに寒く、砂漠用にと持参した長袖シャツやラクダのパッチを身に着けて漸く寒さをしのげたのだ。これ以降、長期間のエジプト旅行が寒さとの戦いであった。、ルクソールやアレキサンドリヤでサイクリングを楽しもうなんて夢は打ち砕かれ、持参した半そでとか、長袖ではあっても薄手のTシャツは、一度も使用する機会は無かった。
    そもそも、車間間隔1m程度で延々と走る車の列の間を、サイクリングすることは、かなり危険でもあった。
    到着時に受付のホテルマンが受話器を渡し、その電話でオーナーの歓迎の挨拶を受けてから、カイロに滞在の間ずっとオーナーとは電話だけの話であったが、どうやらオーナーはホテルの一室に居るらしく、なぜ我々の前に顔を出さないのかが不思議であった。なんとなく、かなりのサスペンスですな。
    で、まあ謎解きだけはしておくと、復路で泊まって判ったが、彼は風邪と言うか、アレルギー体質の喘息で、部屋に引きこもっていただけのことなのだ。イタリヤ人みたいな雰囲気のおしゃべりで、世話好きのおっさんであった。
    そんな細々としたことを、延々と書いても無意味なので、読者の参考になりそうなことを列記しておく。
    ①昨年、今年と、カイロ、アレクサンドリヤの1月2月は寒さが厳しい。しかも、エジプトのホテルにはヒーターって概念が無いから、中級、経済的ホテルでは寒さに苦しむことになる。これを前提に、寒さ対策を用意することが必要です。出来ればホテル予約時に部屋のヒーターの有無も確認するのが望ましい。それと、薄くとも、シュラフが有ればベストですね。砂漠で借泊する場合も、寒さ対策以上に、きったない毛布に直接触れなくて済みますね。
    但し、CAIROのベルリンホテルは、確実にベッドシーツを取り替えていましたので安心してね。
    ②この時期には、エジプト全土に亘り、半袖や薄手のTシャツや半ズボンは持参しても無意味です。
    雨も時々降るので傘の持参が必要です。(ここ2年間の傾向です)
    ③町で売っているビスケットとか非常食の殆どは中国製なので、ちょっと危険だ。包装紙に中国語が書いてあるかを確認した方が良い。出来れば日本から持参が望ましい。
    ④物を買う時は、「いくらか?」と聞くと実勢の5倍程度の値段を答える。だから先ず、どの程度の価格かを想定して、金を出し、相手の反応に合わせれば良い。例えば、この国の大型のデコポン形オレンジはとっても美味いのだが、始めの頃には値段を聞いたのだが、1kgで12LE払っていた。その後、この方法を使うと、帰国間際には2.5LEで買えるようになった。インターネットは、1時間12LEが3LEとなった。実際はもうちょっと安いが、どう頑張っても只にはならない。
    ⑤TAXIに乗る時は、市内程度だと、「5LEで行くか?」と聞くと、運チャンが15LEとか10LEと答えるので、目標値を、その緊急度に合わせて、10LEで納得するか7LEまで粘るかってことになる。カイロ市内だと10LEだと殆ど納得するようだ。但し、大きな荷物を持って、ラムセス駅に着いた時などは、目標値を20LE程度に設定する方が事がスムースに進む。駅や高級ホテル近辺で待つTAXIは、多分場所代を払っているのだろう。その分だけ高くなるのだ。
    他方、道路には、車間間隔1mで疾走する車の群れの中の半分はTAXIだから過当競争そのもので、いくらでも安くなる筈なのだ。だが、日本のワーキングプアーを知り、己に対する会社の非情を経験した身としては、どうしても、支払額をとことん抑える気持ちにはなれない。適度なところで合意せざるを得ないのだ。
    ⑥一般人は英語を喋れないので、自分のホテルの位置を現地語で覚えると便利です。通りは、シャーリーと言います。駅名は、例えば、ラムセス駅は、マハティッ(ト)・ラムシースとなる。発音は現地人に教えてもらうこと。何故なら、地名のアルファベットの頭文字のQは発音しないとか、末尾の子音を発音しないなど、フランス語に似た発音やそこからまた変形した発音とかがあるようなんです。
    道路は一歩通行が多いので、ホテル周辺の通りの様子を覚えておくと、カイロ市内そのものがせま~い所だから、違った場所で下ろされても帰るのは簡単です。他の都市はもっと狭いからもっと簡単です。
    英語で質問しても、お互いに混乱するのが常です。
    ⑦アレクサンドリヤ(下エジプト)への鉄道切符は、上エジプトでは買えません。逆も同じです。
    ですから、できるだけ、ラムセス駅で全ての切符を買うのが望ましいです。
    時刻表はここであるが、確認は現地でね。
  • http://www.egyptrail.gov.eg/docs/index.html

  • 2週間以内の寝台車は、ラムセス駅南側のsleeping train切符売り場で、それ以前の予約切符は、駅北側上エジプト切符売り場の北端の窓口で買えます。北側には地下通路を通って行くことになります。Sleeping trainの切符購入はドルかユーロになります。
    アレクサンドリヤ等の下エジプト切符は、駅中央部の窓口になりますし、列車ホームもその周辺です。
    ⑧A/C付特急の切符は、普通特急の2倍ほどになります。いずれも、2等席は1等席の7割程度の金額で、1等席はグループ客の為にすぐに満席となります。でも、2等でもなかなか良い席ですから、気にしないで買いましょう。とっても安くて満足しますよ。なお、車内での飲食販売は、後清算ですから只でくれるのだとは思わないで下さい。しかも、車内販売の物は、とっても高いですからね。
    ⑨食事は、とにかく安い。腹いっぱい食べて25LEってとこです。昼は軽くコシャリで済ませば、一日30LEってところですね。

    僕は、到着翌日にラムセス駅で切符を買おうと歩き始め、途中で、道を聞くのだが、英語を理解できる人が少なく、本当に苦労をした。駅でも切符売り場があっちこっちなので更に苦労した。
    で、CAIROからLUXSORへのA/C特急1等112LE(額面は109LEだが、収入印紙代が加わる)で、LUXSORまでの分は売り切れていて、ASWANまでの切符が買えた。(意味わかる?)後から考えると2等を買えば良かったのだ。
    14日のASWANからCAIROへのワゴンリー(寝台車)は60ドル、14日のCAIROからALEXへのA/C特急102LEでした。でもね、14日の夜行で行くと、ALEXへは15日の朝になるのよね。
    そもそも、インターネットではALEXへの直行便がある筈なのに、切符売り場では、直行便が無いって言うので頭が混乱したのです。LUXSORで観光を済ましてから、駅を見に行った時に、この事にはっと気づいたのです。で、CAIROからALEXへの列車変更しようとしたが、上エジプトの駅では下エジプトの切符は扱えない、とのことでキャンセルしたのだ。この時に判ったが、キャンセルとか、列車変更には駅長のスタンプが必要だから、駅長室に行かねばならない。また、切符売り場の人は、どのプラットホームが該当列車かも知らず、駅長かインフォメーションに聞かねばならないが、インフォメーションはラムセス駅にしかないので、全てが駅長が頼りとなる。
    さて、キャンセルすると、元の価格の約半分、50LE程度が戻ってきただけなので大損となったのだが、後に、夜行でCAIROに6:00時に着いて、ALEXへの7:00の切符を買いなおし、午前中の1等の席はグループ客でいっぱいだった(多分日本人グループのせいね)。で、仕方なく7:00発普通特急の2等に乗ったが、29LEだったので、元は取り戻して、キャンセル返却金で21LEの余裕で買えたのだ。(意味判るかな?)
    ついでにALEXからの復路を通常特急の1等で買うと45LEだった。A/C特急って本当に高いのだ。

    1月30日には友人が全員そろいカイロ周遊をはじめた。
    初日は、午前中を考古学博物館で過ごし、ツタンカーメンの副葬物に感動し、有名なファラオ達のミイラとの面会に感涙した。我々の年齢になると、展示物のこまごまとしたことに批評が出て、時間が掛かるのだ。例えば、ツタンカーメンの副葬物に鉄剣があり、その時代は鉄器時代であったか否かについての議論は、ナイルの河馬の意味とか、アラバスタとは何かとか、ナイル渓谷の成り立ちとかと一緒に、今でもメールで言い合っているのだ。
    で、翌日は、シタデル、周辺モスク、ハーンハリって具合で、上記作戦でTAXIを都度ひろって行動した。でもってTAXIの拾い方とか値段の決め方には誰もが習熟したのだ。僕の友人なんぞは、「市内ぜ~んぶ定額」なんぞと言い出す始末です。
    シタデル近くのガーマ・スルタン・ハサンからズウエーラ門までの僅かな距離もタクシーとしたが、歯の抜けたおっさんの車はえらくボロで、僕は扉が落ちそうなドアーを手で押さえながら運転手と一緒に笑いまくった。エジプトってえらく面白い国やんか。でも、裏路地を走るTAXIの前席で、歯抜けのおっさんと日本人が笑いまくっているのって、現地人はどう思っただろうか。
    ガーマアズハルでは門を入って靴を預けて直ぐにガイドを買ってでた若者が居て、そのガイドそのものはなかなかのもので、ガイドの終わりに皆で相談して50LEをはりこんだら後10LEとねだられた。どうもこの国では善意を示すと増長するんだなと気づいた。こんな状況では3人の倍数で、しかも少なめの30LEを出すのが妥当だったのだろう。いやいや、15LEでも良かったのだろう。とにかく50LEではTAXIの運ちゃんに対して悪いではないか、と思った。
    ガーマホセインでは入口に靴番が居るのだが、現地人は靴を預けず手でそのまま持って行くので、僕らも手で持ってゆくことにした。靴番が駄目だ預けろ、と言ったが、そこを通過する現地人が、いいからいいからと、僕らに加担してくれた。一般の人は、神聖な寺院に巣くった靴番どもが、特に観光客から膨大な利益を上げていることに怒っているのだ。その後の旅でも気づいたが、いろんな所に巣くう便所番が、膨大な不労所得をあげていることにも、エジプトの一般人は腹を立てているらしい。

    こんな勉強をいろいろとして、夕食をホテル近所のEL PRINCEで食べたが、エジプトでは食い物には困らない。友人と大笑いしながら食っていて、その食事の最後の間際に、腹にドーンと重しが出来た。寒さと疲労と、それに何かのせいで下痢が始まったのだ。
    2月1日は、ピラミッド巡りである。HOTELに頼んでTAXIを1日210LEで雇った。安いもんだ。
    8時過ぎにTAXIがピラミッド地区の入り口に着くと、既に、観光バスがずらっと並んでいて、切符を購入して、TAXIでクフ王の駐車場に入った。クフ王の内部券は、地球の歩き方と違う、もっと奥の方で売っていたが、あまり買う客は居なかった。我々が買った後、韓国人の団体が駐車場から、わっせわっせと掛け声を上げながら走ってきた。
    クフ王の内部に入ったが、玄室にたどり着いた時には、下痢腹の空腹で、腹を抱えて座り込んでしまった。
    クフ王内部から出てくると、太ったベドウイン服のおっさんが写真を取れとうるさく言うので、写真を撮ると、今度は僕を写そうとカメラを取ろうとするので、「what are you doing !」と大声で叫ぶとあきらめよった。だが、友人の方はこれに引っ掛かってカメラを人質にチップを要求されていた。僕が大声を出しながら近づいてゆくと、僅かな金であきらめた。
    ピラミッド巡りを終えて、スフィンクスの葬祭殿のところで僕はもう限界に達した。でもってホテルに送ってもらい午後を寝て過ごし、友人達は予定通りOLD CAIROへと出掛けた。
    2月2日はサッカラー、メンフィス、ダハシュールである。7時から16時まで210LEのTAXIで同じ運転手だ。安全で落ち着いた信頼抜群の男である。
    ダハシュールの赤いピラミッドの内部に潜ったが、評判ほどには足は痛くはなかった。最近の若者は足が弱っているのだろう。そこから屈折ピラミッドへは車では行けない。で、僕らは歩いて行くことにした。でもね、途中の大きな砂丘に出会って、この企てはあきらめたのだ。

    2月3日は、砂漠のホテル手配のprivate carが、ホテルに迎えに来た。普通のtaxiで、運転手とガイドらしい男との二人なので、我々は後部に三人が座った。このまま4時間もぎゅう詰めかと、往復130ドルのprivate carにがっかりした。ところが、taxiはナイル川を渡ったところで高速道路を降りて裏道にとまった。そこで我々は大型ボックスカーの乗り換えとなり、8人程度は乗れる車を我々3人だけで乗ることになったのだ。ってことで、心配したprivate carって、なかなかのものだったのだ。
    つまり観光バスは別として大型車は市内への侵入を禁止されてるってことなんですね。運ちゃんはちゃっかりと現地人を助手席に乗せてやって小遣いを稼いでいるようだったが、まあ、ええですやん。
    ホテルもまあまあで、oasis周辺のツアー(周辺とは言え、相当遠くの砂漠や山、ピラミッドマウンテンやイギリス山などを回り、翌日午前中の町周辺みどころも含む)は、ちょっと高めの4駆60ドルで、なかなか面白かった。
    翌日昼からは、4駆150ドルの砂漠オフロードツアーで、ブラックマウンテンでは円錐形の山の頂上に立ち、クリスタルマウンテン、白砂漠、tomb 砂漠、となかなかの旅行となった。白砂漠の片隅にはフラワーストンって鉄の結晶の如き鉱石が集まり、これが長い年月で砕けたものが砂漠の上に縞模様を作っている。などなどと、まず、これからの一生、出会うことのない景観と経験の旅となった。
    夜は、白砂漠のきのこ岩の乱立する間で、汚いシュラフに潜って眠るのだが、夜空の星は降るように輝いている。銀河はあたかも河のように空を横切っていた。
    さてっと、糞は野糞である。懐中電灯で適切な場所を探し、とあるきのこの周囲がうまい具合にへこんでいるのを見つけた。尻を出してきばっていると、足元の白い砂の間に紙が飛び出している。なんとそこは誰もが糞に最適の場所と集まる場所だったのだ。どうやら靴で踏んでしまったらしいが、野糞って、大学時代以来のことでしたね。
    なにしろ、いろんな意味で凄い旅行となったのだが、どうやら、CAIRO往復費用とか、オフロード砂漠一泊ツアーは、BAHRAIYA OASISでの談合値段らしい。で、少なくともCAIROでセルビスを借り切ってCAIRO往復させれば、安くなる公算は大きい。誰か試してね。
    なお、帰ってから専門家に見てもらったが、クリスタルマウンテンの結晶は、水晶ではなくて、炭酸カルシュームです。大理石の透明なものですな。
    フラワーストーンは硝酸でも溶けないから化石ではないらしい。これも専門家に調べてもらってます。この石ってなんとなく楽しい格好してますねえ。その石がどんな格好か、知りたければ質問してね。
    (帰国してから高校の先生が調べ教えてくれたが、砂漠が海の底であった時にできたようです。エジプトの砂漠でしか取れないので別名、エジプトの星です。
  • http://www.selfcreation.net/Self_Content_metalstar.htm


  • 翌日はprivate carの有利さを一気に利用して、さっさとCAIROに帰り、BERLINで一泊して、
    翌日は、AC特急でLUXSORに向かった。
    CAIROのBERLINに戻ると、なんか、ほっとするようになりましたね。特に、真面目で頭の切れるオマールや、おしゃべりオーナーとの再会がうれしいです。
    ところで、LUXSORへの旅ですが、列車の窓は汚れ放題で車窓を楽しむことはできず、しかも、列車は3時間も遅れた。だがしかし、LITTLE GARDENの迎えはちゃんと駅で待ってくれた。ホテルの部屋は各人TWINをシングル利用だが、BERLINよりは狭く、おかげで寒さは若干はしのぎやすかった。周辺にレストランも多く良い場所でしたね。
    ここでは、デンデラへ半日観光150LE、西岸1日300LEでTAXIを予約したが、車はきれいで運転手は、車のオーナーの弟で、親切な若者だった。僕は結局65ドルで、この車を雇って、ASWANへの移動とその途上エドフ、コムオンボとASWANの観光を頼んだ。
    始めは、観光バスでASWANに行く積りであったが、ホテル側が何故かこれを渋ったのだが、その理由は、実際に車両隊列コンボイに加わってわかった。アスワンへのコンボイは、その殆どがASWANへの直行で、途中の観光を行うのは数台で、しかも、個人旅行者用のバスは運行していなかった。どうやら、LUXSORからの個人旅行者用のツアーの方が一般的らしい。
    (この点は確認不足です。多分、ASWANのここで確認できます。
  • http://www.keylanyhotel.com/kh/index.aspx
  •   )
    なお、他のちょっとボロッチイTAXIで、109ドルでアブシンベルまで行く中国人にも出会った。
    後の経験からすると、アブシンベルで一泊(旅館代は含まず、施設入場料含まず)で、ASWANまでの帰路を含むとするのが行動しやすいですね。でも、各市周辺の観光を除くと、コンボイに参加しないと行動できませんので、コンボイに合わせての行動が前提です。
    LUXSORを拠点とするTAXI (僕の使った良い車)のご用命または問合せは、
    LimozineCarInLuxsor オーナーのMr Ehab ayman_Boghdady@yahoo.com に問合せてみたら?
  • http://blogs.yahoo.co.jp/isamu32003

  •  ここは信頼できるし、それに、ホテルのマージンは節約できますね。でも、問合せでは先ず予算を言うことが重要ですよ。それに英語ですね。(結果は僕に責任なしですよ)
    それはそれとして、デンデラへは8時のコンボイが編成されるが、100台にも達するコンボイの中で、デンデラへの台数は少なく途中で分かれて数台となる。デンデラの寺内に入ったところで、胴巻きを便所に置き忘れたことに気づいて真っ青になった。車に戻り運転手の携帯を借りて、宿に連絡すると、宿屋で僕の胴巻きを確保してくれた。こわいなあ。
    LUXSORはとにかく凄いですね。西岸のラムセス三世葬祭殿は凄いです。閉園の4時ぎりぎりまでTAXIで回りましたね。翌日から友人達はNAILE CRIUSEで3泊4日のASWANへの移動で、これの付随の観光です。(TWIN部屋で一人210ドルです。なお、この旅ではガイドを頼むことが望ましいらしいです)
    で、東岸は一人で歩きとTAXIで回りました。ここのスークはASWANと同程度に感じが良いですね。
    一日はのんびりとして、12日には7時のコンボイに参加してASWANへと向かいました。TAXIには僕ひとりで贅沢な旅となりましたわい。贅沢と言っても65ドルだから勘弁してね。
    なお、観光しながらでも昼にはASWANに着き、ASWANのイシス神殿、切りかけのオベリスク、ダムを見て4時過ぎにASWAN のNubian Oasis Hotel (アスワン ヌビアンオアシス ホテル)に入ったが、ここでは、酷い目に会いましたわい。
    その事情を説明する前にイシス神殿のことを言っておくと、イシス神殿はアスワンダムとアスワンハイダムの間の島にある神殿で、なかなかの神殿なのだが、ヌビヤ人が多数派のASUWANであるからして、なかなか面倒なことがあるのだ。つまり、島に渡るには船に乗るのだが定期船ではなくって都度雇うことになる。島に着くと帰りを待っているから、他のグループとの時間合わせも必要になる。実質、各グループごとに船を雇うことになり、単独行の僕には非常に不利になるのだ。
    僕が着いた時には観光客は見当たらず、人相の極端に悪く体がごつい船頭らしき男が近寄ってきたので、いくらかと問うと75LEと答えよった。そもそも、いくらかと問うのがまずいのだが、焦ってしまったのだ。そこでたまたま体のでか~い現地人のアベックが来たので、一緒に行けないか?と問うと、そのアベックには完全に無視されてしまった。
    先の船頭を無視して先に進み、他の船に乗り込もうと(なぜ、そんな行動に出たのかは判らないが)すると、いくらなら払えるかと言われ、50LEだと答えると、尋ねたおっさんは、ちょっと考えて、60LEだな、と言った。で、OKと答えると、大人しそうな若い船頭の、小さな船に乗れと指示した。ってことで、小型の船を僕一人で使うことになったのだ。島に着くと、見学が終わったら、アッワーの船だと言え、と若い船頭は言い船を沖に出した。
    で、島で神殿を見学していると、どうしても先程のアベックにしばしば出会うのだが、出会うたびに「ぶた、ぶた」と小声でいい続けると、アベックはいや~な顔をしていた。更に連中は写真を取るときに変なポーズを取るのだが、「けっ!」と小声で、しかも、聞こえるように言うと、さすがに男の方は僕をにらみつけたが、無視して嫌がらせを続けたのだ。僕って性格が悪いのかなあ?
    さてヌビアンオアシスホテルの事に話を戻しましょうね。
    ASWANの観光を終えて、ヌビアンオアシスホテルに着いたが、荷物を運んでくれた車オーナーのEhab君は、ホテルの異様な雰囲気を感じてか、心配そうな表情で帰っていった。
    ホテルリセプション横に事務所があり、そこにマナージャー然としてふんぞっているMEZOこそが諸悪と根源なのだ。彼はE-MAILでわけのわからん返事をしばしば送信する男なのだが、実はマネージャーではないが、マネージャーが不在の時にその椅子に座り、兄弟達を事務所に集めているのだ。
    なんとこのMEZOって男の写真を日本で発見した。日本人相手に船を高く貸して、その船に同乗したらしい。船に乗った黄色い服のヌビアンで、黒い服は彼の弟ですわ。
  • http://afterabook.jugem.jp/?eid=440

  • 彼は僕を事務所に招き入れて、かように言い出した。
    「あんたの支払いは、宿泊35LEx2泊+フルーカ3時間100LE+アブシンベル旅行2回分70x2=240だな、前金で支払ってほしい」
    僕が渋ると、
    「わたしはあんたをTRUSTするからあんたもおれをTRUSTすべきだ」
    と言ったのだが、後になって判ったが、彼の英語の翻訳を間違っていて、正しくは下記でした。
    「あんたはおれをTRUSTすれば、俺はあんたをカモにしてやる」
    更に、有難い申し出があった。
    「大型バスにするから10LE追加して250LEだな。それとフルーカだがあんたの友人達もさそえば、3人で各人が70でいい」
    「友人達が、フルーカに乗るかどうかは判らないが、3人で100でいいのじゃないか?」
    「いや、警察の許可がいるから、一人70になる。あんたの分だけ50にしてやってもいい」
    と、訳のわからん計算がはじまった。
    「友人達と僕は同額でなきゃあ駄目だし、友人達は乗らない可能性が高い」と答えると、
    「なら、あんた一人だと100LEでは駄目だ。150LEだな」
    「じゃあ、キャンセルする」
    「いや、100LEでいい。では、アブシンベルはロングでね」
    ってな調子です。要するに十秒前に言ったことも忘れて、直ぐに言い換えるし、突然、警察の許可の話が出てくる。つまり、日本にもときどき居る、あからさまな嘘つき男なんですよね。それに、僕はアブシンベルではショートツアーだと何度も言ったのだが、最後にはロングツアーにされてしまった。
    僕から前金を受け取ると、そこで話題が急に変わり、
    「俺は、ニュービジネスを始めてる、日本からカメラを1000台買って販売してるし、中国とは携帯で提携する予定だ。あんたのカメラはふっるいねえ。新しいのを安く半値で売ってあげよう」
    こいつは、日本人からカメラを盗んだか、盗んだカメラの故売をするのだな、と思い、即座にこの提案を断った。なお、僕のカメラは本当に古いのだが、ほうっといてもらおう。
    部屋に行くと、バスタオルは無いし、トイレペーパーも無く、お湯も出ない。バスルームは洗面所で水を出すと、どこからか洩れて洪水になってしまう。
    で、レセプションに戻りタオルと紙を要求すると、ペーパーはあるが、バスタオルは洗濯が休みで無いので、と自分が使っていたタオルを渡した。こんなタオルは使えないなあと、バスルームの水のあふれの仕切りに使うことにした。なお、翌日も洗濯休みでバスタオルは無いってさ。
    さて、部屋のことだが、僕は各部屋を調べるのが好きで、その調査によれば、日本人とか韓国人は暗い部屋に押し込めて、現地人は明るく清潔な部屋に入れるのが、このホテルの方針のようであった。
    どうやら、MEZOって男は、外人からふんだくるのが喜びのようなのだ。特に日本人が嫌いだが、あたかも友人のような言動で騙すのが喜びなのだろう。
    地球の歩きかたでは、シングルで20LEと書いていて、メールで35LEと言ってきたときに、なぜか、と問うと、部屋は広くしたので25LE、それに、朝食付きで、10プラスだ、と返事してきたのだが、実際の朝食は、細いコッペパン2本だけで、飲み物も卵もない、エジプトでもちょっと有り得ないみじめな食事だった。
    友人達は、翌日、ナイルクルーズを終えてこのホテルに集結したが、彼らも前金で、10LEの大型バス代を載せて支払わされた。彼らの場合は、アブシンベルからは飛行機でカイロに戻るので本来は片道なのだが、ツアーバスは帰りは空席で帰るのだからと、これは、これで理屈に合っているので、往復分70LE+大型バス分10LEは払わされたのだ。
    MEZOは我々が、アブシンベルのノバレラムシスに32ドルで予約していることを聞き知って、「もっと安く泊まらせてやる。俺がついて行ってやるから、あんたらは、何も言わないで、おれについて来い」とのたまわった。MEZOのことを全く信じられなくなっていた僕らは、どうせ、金の臭いについて来るのだろう、それにしても、どう話が進むかのかと悩んでしまった。

    ところで、ショートツアーとは、アブシンベル往復だけのツアーで、ロングツアーとは、帰路にアスワン周辺の観光も含むツアーなのだ。僕は、アブシンベルに一泊するので、ツアー2回分を支払ったのである。すでにアスワン観光は終えているので、ショートツアーだと何度も言うのだが、MEZOは聞く耳を持たないのだ。
    後でわかったが、MEZOは初めから安く発注できる運転手を捉まえていて、その車はロングツアーだから、ロングツアー以外は受付けないわけだ。

    なお、友人達はナイルクルーズにフルーカも入っていたとのことで、僕だけはキャプテンなる男と夕方のクルーズに出掛けた。男は川べりに行く途中でも、誰かれなく声掛けて、フルーカーの同乗者を捉まえようと試みたが、結局は僕一人だけの贅沢な船乗りとなった。降りるときにチップを20LEはりこんだが、非常に不満でもっとよこせと言い続けた。で、MEZOに100LE渡したからMEZOに言えと答えると、途端ににこにことしたのである。

    さて翌日は、3時起床、3時15分食事、3時30分出発だと指示され、目覚ましも2時45分にして、早めに寝床には入ったのだが、目覚ましが鳴る前にドアーをドドドドと叩く音がして、わ~寝過ごしたんだ!と驚いて、時計を見ると2時半だった。朝食を食べてレセプションに行くと、韓国人の若者と、僕の友人が集まっていた。レセプションにはMEZOは居なくて、体格のがっちりしたスーツのおっさんが居た。時間が早いのじゃないか、と言うと、バスの時間が早まった、ところで、旅行代にいくら払ったのかと聞いてきた。支払った価格を話すと、えっ、フルーカにも乗ったのか?と不審そうな顔をした。このおっさんはMANAGERとのことで、友人達にもMEZOに支払った金額を聞いたらしい。MEZOが下っ端であり、しかも、どうやら金を誤魔化しているらしい。ASWANってみんながこんな調子らしい、と僕は思った。
    そこに、きざな格好をしたMEZOが現われ、「あんたと一緒にはアブシンベルには行けなくなった」と言い、旅行者全員に階下に行くようにと指示したが、韓国人のグループに「後、10LE払えば大型バスの乗せてやる」と言ったが、韓国人たちは無視したようだ。
    僕の友人達は、ここには戻って来ないのでサムソナイトを引き摺っていたが、MEZOはそれに気づき、荷物は置いてゆけ!とのたまわった。
    友人達は当然ながら、ここには帰って来ない。馬鹿じゃないのか、こいつは!と、僕らは一斉にNO!と叫ぶと漸くMEZOはあきらめた。
    下の道で待っていると、大型のバンが現われたが車は概ね満席であった。運転手が下りて、2階の窓から首を出したMEZOと叫びあい、MEZOは韓国人達に乗れ!と指示した。彼らが乗車すると、また大声で運転手と話してから、僕に「お前も乗れ!」と叫んだ。僕は、「大型バスの代金を払ったぞ!」と叫ぶと、MEZOは「これが大型バスだ」と叫び返した。くそ!と思ったが、他の車も満席なら、一席でも埋めないと仕方が無いかと、友人達と離れ車に入ったが、僕の席は扉横の補助席なる最悪の席となったのだ。
    このように書くと、このドタバタがかなりの時間であったかのように思えるが、実際は1分か2分のことなので、このドタバタに紛れて、MEZOの思い通りに事は運んでしまうのですわ。
    さて、出発した車は、百台は下らないコンボイの列の中に入り、待機したのだが、行過ぎる車を見ると、そんなには混んでおらず、中には、すかすかの車だって多い。くそ!またMEZOにやられたと僕は気づいたのだ。つまり、MEZOは、満席の車の助手席に押し込むことで、僕ら日本人や韓国人のツアー代金を安くして、差額を自分のポケットに入れているのだ。
    先の話になるが、一泊して、翌日の帰りの車は、当然、同じ車両にならざるを得ない。この性悪MEZOと組んだ、多分、こいつも性悪の運転手は、翌日の車も、補助席まで満席にしていて、僕の席はやはりドアー前の最悪の席で、帰りのツアーの最初の場所であるアスワンハイダムでは、最初に降りて、最後に全員が乗るまで荷物を持って車の外で待たざるを得なかった。
    そこで頭にきた僕は、乗車するときに、ドアーをがっしゃんと閉じて、補助席をドタンバタンと下ろして意思表示をした。運転手が困ったような顔をしてちらっと僕を見たが何も言わなかった。イシス神殿に向かう道路に差し掛かったので、僕は、おろせ!と叫び車を止めさした。
    TAXIをひろい、ホテルに帰り、レセプションの男に事情を話し、ついでに、どなりつけて、お前らのやり口をインターネットで公開してやる!ど、どなりつけた。レセプションの男は、ロビーの奥の椅子に僕を座らせ、エジプトサンドイッチと紅茶を出し、「そんなことをしないで下さい。ね、約束してね?」と言ったが、僕は別に約束はせず、以後は黙ることにした。その後、男は電話をあちこちにして、そのうちレセプションの僕から見えない所に、MANAGERとMEZOが集まり話をはじめた。と、突然、MEZOが大声でののしりだしたので、柱の陰から覗いてみると、MEZOが携帯に罵っているのだ。あれあれ、全てを運転手のせいにしだしたな、と僕は思った。
    ところで、友人達とはノバレラムシスホテルで再会を果たしたが、彼らの乗ったミニバスは席がいっぱい空いてたんだって。でも、運転手がとっても友人達に機嫌が悪かったことからすると、MEZOはとっても安い金額で発注したんだろうってさ。
    でも、とにかく、僕が最も悪いくじを引いたらしいね。それなのに、友人達には僕が彼らを見捨てたと思われたらしい。
    帰ったらきっと地球の歩き方に言いつけてやろうと思っていたのに、帰って最新版を見ると、
    NUBIANNOASISは既に地球の歩き方のASWANからはトンズラしておったのだ。
          MEZOのばかやろおぉぉぉぉぉぉぉ!

    さて、皆さんは事情を完全に理解できただろうか?と心配になったので、ASWANでの手配についてアドバイスしとこうね。
    ① ヌビアンオアシス(ASWAN)には泊まらない方がよい。頭の速さに自信があり、MEZOをやっつける自信があれば是非泊まってください。結果は報告してね。でも、その際には、彼らに取って外人観光客のメリットであるツアーを先にしてしまうと、役目が終わったとして追い出される恐れがあります。
  • http://blog.goo.ne.jp/take4971/1

  • だから、ツアーは最後まで切り札にしたまま安く泊まり、他のまともなホテルを探しておいて、さっと移って、そのホテルでツアーを手配するのがベストです。
    それと、せめて、ここまで凄いMEZOの顔を見たいと思う人は、スークに沿って高々と建ってるヌビアンオアシスホテル (NUBIAN OASIS HOTEL)の2階のロビーに行ったら?
    ② ロングツアーとショートツアーを明確に区別する宿に泊まろう。
    ついでに、アブシンベルから飛行機で帰る時は、荷物を持って行くことや、アブシンベルで泊まり翌日のバスで帰る時は、そのことを確認しておこう。
    ③ 大型バスに乗せて、補助席には座らせない、ってことを確認させようね。バスの写真を持っていって、大型バスってこれより大きなバスなんだよ、って確認しよう。
    ④ 朝食には、コッペパンと、バター、ジャムと卵と紅茶を付けることって要求しようね。

    ところで、僕がアブシンベルではホテルに宿泊するってことは、運転手にも知らされていて、満席ミニバスが、アブシンベルに7時半には着き、他の乗客には「9時半までにここに集まれ、さもないと放っていくぞ」と脅されて出て行ったあと、町の中央部のノバレラムシスホテルまで連れていってくれた。明日は8時半にホテルの中で待っていると言い残して車はどっかに走っていった。このおっさんが翌日はましな座席に座らせてくれていれば、先のような修羅場にはならなかったろうが、実際は、帰路も最悪の座席しか僕にはなかったのだ。

    ってことで、MEZOの登場で、この旅行記をぐ~んと緊迫感が高まりましたねえ。でも、これ以上の盛り上がりを期待されても困ります。皆さん、深呼吸をしてから読み続けてくださいね。

    僕の友人達はかなり遅れて到着したが、彼らの乗ったミニバスには十分に席があったらしい。その運転手は、多分先に述べたような理由でか、かなり機嫌が悪かった。
    だがしかし、アブシンベルは観光シーズンだっていうのに、価格も安く設備もまあまあのノバレラムシスは、ガラガラであった。翌早朝に大勢居た観光客はどこに泊まってるのだろうか?その点が今でも疑問ですがな。

    それと、コンボイに参加する車両ですが、どの車も必死で競争するんですが、なんで、あそこまで競争することに意味があるんですかね?目的地に着くころになると、み~んなバラバラになってしまい、コンボイ(隊列)の意味がなくなってますがな。なんとなく警備兵とか観光業者とかの、過去の利権をひきずっているような感じですね。ASWANとLUXSORの間では、この事情は特にひどく、目的地に近づくと警察の車まで走り去ってしまいます。この区間では既に白人達は列車で観光してるとも、ある旅行記には書いてますからね。

    ノバレラムシスホテルは、神殿から歩いて15分~20分程度のところにありまして、まあ、歩いてもしれてるんですが、お客さんはさっぱりでしたね。レセプションは僕らが来るので急遽採用されて、僕らが居なくなると、やめるんだって言ってました。気の良いおとこでしたねえ。
    社長は入り口、レセプションの向かい側にある社長室に居まして、なんでも、写真SCHOOLも経営してるって言ってました。アブシンベルの土田舎で、写真スクールで誰が生徒なんでしょうかね?
    昼食は、気の良い男がオムライスを作ってくれました。夜食は、光と音のショーに行く途中にネフェルトアリホテルで取った。ここは日本のツアー客が集まるところの筈だが、我々以外に食べている客は居なかった。どうやらショー見学に早々と出掛けたらかった。ちょっと高めだが食い物だけは、エジプトは、まあまあですな。(でも、どこで食っても素人料理みたいなもんです)
    アブシンベル神殿は、これはもう、下手に報告すべきものではないだろう。隅から隅まで見て回りました。到着日の午後いっぱい、夜のショーと、朝は迎えのバスが来るまでと、口うるさい友人達とあれこれ議論しながら見て回りました。僕らには時間はいっぱいありましたからね。
    最も驚いたのは、大列柱室の側室だが、その一番奥の方は、浮き彫りの下書きだけで、彫りこみが為されていないことだった。彫りこみ後に着色するのだが、ここでは彫りこみが省略されて着色だけが為されているのだ。ラムセスの威光もここまでは達していなかったのだろう。
    それにしても、これが3500年前に建設されたとは、驚異そのものではないだろうか。
    残念なことに朝陽は神殿の奥までには達しなかった。2月14日ではちょっと早すぎたのだ。
    でもまあいいや。こんなに楽しかったのだからね。

    てなことで、アブシンベルも無事に終えて、先に書いたようにASWANへの帰還はドタバタとして、5時のワゴンリー(フランス語でただの寝台車って意味)に乗ったのです。
    いまやエジプトに慣れてしまったので、列車ではぐっすりと眠り、目を覚ますと
    下のベッドに中国人の太った青年が寝ているのに気づいた。僕の60ドルはTWINの一ベッド分だったのだ。だが、青年は目覚めると、こそこそとどこかに消えた。彼はいったい何だったのだろうか。でまあ、無事に勝手知ったるラムシース駅について、112LEがキャンセルで半分に減った金で、7時発のALEX行特急の、1等はないので2等席を29LEで買い、11時にはALEXのマスル駅に着き、すぐにTAXIを捉まえ、先に着いた友人が居る筈のハイドパークに向かった。名前とは大違いのホテルは建物の奥の5~6階にあり、エレベータはボタンを押しても1階に来ず、エレベータの止まっている階まで駆け上がり、乗り込んで1階に荷物を取りに戻った。どうやら、エレベータの扱いもエジプト人並みに上達した。でも、通過するエレベータの扉を手で叩いて開き、エレベータを停止させるなんて達人にはなれそうもない。
    でもって、その日の午後のうちに友人と見物を終えて、翌日2時の特急で、一緒にCAIROに戻った。本当はもう2泊する積りであったのだが、風が寒くて、地中海を楽しむ気分を失ったのだ。なおアレクサンドリヤでは乗り合いミニバスの乗り方も覚えた。
    カイロのBERLINに戻ると本当にほっとした。
    友人は翌日大阪便で帰り、僕がひとりになった。
    でもって、勝手知ったるカイロの、博物館を再度訪問し、更に中庭は無料で楽しみ、町中をうろうろと歩き、残ったエジプトの日々を終え、19日発のエジプト航空便で日本に帰ったのだ。BERLINホテルは支払いがドルで出来るので、最後の支払いはドルでやり、現地通貨は21LEだけ残った。例の真面目な運転手のTAXIで空港についた時に、残った20LEをチップでやると、彼は本当に嬉しそうに握手を求めたのだ。
    なお、カイロ空港は、日本人の熟年者ツアーでいっぱいで、僕はエコノミー席から追い出されて、ビジネスクラスであった。

    と、もうちょっと疲れたので、簡単に幕を引いたのだが、そのうち、もうちょっと修正しますが、今日のところは、これで勘弁してね。

    ところで、旅を終えて一週間になるのですが、毎晩、夢の中でエジプトを走り回ってます。これも、疲れるんですよね。で、夢はエジプトを駆け回る、です。

    今回の旅費は航空運賃130,000円、現地費用は24日間で、811ドル+60,000円=149,000円 で、合計279,000でしたね。安い旅行ですね。

    ・ラムセス2世がヒッタイトと平和条約を結んでから、エジプトの王侯には、ヒッタイトから鉄器を送られたとのことが、エジプトとヒッタイトの双方の記録に残っています。
    また、遅くとも紀元前13世紀には、ヒッタイト人は鉄溶解と鉄器技術を習得し、この技術は、機密とされていたが、ヒッタイト王国が崩壊後、紀元前1千年紀(紀元 前10世紀以後)にはオリエントは鉄器時代に入ってゆく。従って、ツタンカーメンの鉄器は、ヒッタイト人から入手したものと思われる。

    ・アラバスタとは石膏でした。
  • http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E8%86%8F


  • ・河馬のことですが、中央公論社 世界の歴史1巻 p400に「さわいだ河馬」って項目があります。ヒクソスの王アポピスからテーベで王を名乗るセケネンレーにあてて、「テーベの河馬が騒がしくて眠れない」と手紙を出した。テーベから600kmも離れたところに居るアホビスの言いたいことは、謀反の疑いがあると言っているのだ。セケネンリーが、謀反する気は無いと返信している。だが、セケネンリーがは謀反を起こしたらしく、そのミイラの骨の頭部には戦闘での陥没が残っている。これらの文章やミイラが実際に発見されている。なお、その息子はヒクソスをエジプトから追い出し王朝をつくった。

    エジプトの星(フラワーストーン)
  • http://www.selfcreation.net/Self_Content_metalstar.htm



  • 【旅行時期】2008/01/28~2008/02/20
    【エリア】エジプト
    【テーマ】
    【投稿者】isabon

    Hola! バルセロナ一人旅 ~カサ ミラ~ (by conejoさん)

    石膏
     スペイン・バルセロナへ一人旅に行ってきました。

    ☆Casa Mila           ★世界遺産★
    ~カサ・ミラ (ミラさんの家)~
    バルセロナのメインストリート、グラシア通りに面した白い摩訶不思議な集合住宅。
    建築主はアントニオ・ガウディで、カサ・カルべやカサ・バトリョと同じく典型的な都市建築ですが、斜路を工夫した馬車用の地下駐車場を設け、将来の都市建築に不可欠で革新的な設計をしました。

    ミラ邸はまたの名を La Pedrera 石切り場 とも言われています。これはガウディがギリシャの例にならい実物のモデルからじかに石膏で型をとり、石工によって拡大され石材に刻まれていて、切り出した石を積み上げた独特の外観から‘石切り場‘と呼ばれるようになったそうです。
    屋上の階段の出口や換気塔、煙突などは山の尾根から突き出た峰峰を表しています。
    テーマは‘山‘。

    アパートの一部が見学できます。


    【info】
     場所:グラシア通り
     入館料金:4.50ユーロ

    【1ユーロ=127円(2009年1月11日現在】





    【旅行時期】2009/01/11~2009/01/19
    【エリア】バルセロナ
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】conejo

    アブ・シンベルに泊まる エジプトハイライト8日間 3-1(by 神無月。さん)

    石膏
    モーニングコール 2:00
    スーツケース回収 2:30
    朝食 お弁当
    出発 3:00

    今回の旅程で一番朝の早い日だ。
    モーニングコールの30分前に起きてお風呂に入る。
    なんとなく頭が痛い。

    出発時間前にロビーに行くと、今朝の朝食として一人にひとつ紙袋が用意されていた。
    ホテルによってはBOXに入っているところもある。
    中身は紙パックのオレンジジュース、ヨーグルト、バナナ、リンゴ、パン、
    パウンドケーキ一切れ、ミネラルウォーターだ。

    空港に向かう車中で食べてもいいし、機内で食べてもいいとのことで
    カイロの空港でパンとジュースで朝食とした。残りはバックに詰め込む。

    当然ながら暗い外。国内線乗り場に向かう。
    朝が早いのに沢山の人、ヒト、ひと・・・。勿論日本人も沢山いる。
    私たちが泊まっていたホテルでも色々なグループが同じような時間に出発していった。

    私たちが乗るのはMS-401便。5:15にカイロを出発してルクソールに6:20に到着予定。
    沢山いた国内線乗り場の日本人も色々な飛行機に分かれていった。

    機内では頭痛薬を飲み、睡眠時間に充てようと目をつぶっていたが寝られなかった。

    ルクソールに到着して外に出たら、民族衣装のガラベーヤを着た人達が
    出迎えの為なのか並んでいた。
    カメラを向けても平気なのかしら?といいつつ、何人かで撮影を試みる。

    ルクソールの空港からバスに乗って、本日の観光がスタートする。

    観光:西岸 王家の谷(ラムセス4世、1世、9世、ツタンカーメンの各墓)
    →ハトシェプスト女王葬祭殿→メムノンの巨像→東岸 カルナック神殿→ルクソール神殿


    王家の谷に向かう途中、熱気球を見ることが出来た。
    ルクソールは気球のツアーがある。
    かなり早い時間に出発するそうで明日も8時前の飛行機に乗る私達には無理なのだが、
    時間があったら乗ってみたかった。

    頭痛が一向に治まらない。持参したポカリスエットの粉末をミネラルウォーターに溶いて
    意識して水分を補給する。旅に出るとつい、水分補給がおろそかになる。
    トイレの心配がついてまわるからだ。が、水分が足らないと頭痛を誘発しやすい。
    注意しなくては・・・。

    王家の谷のビジターセンターに到着。王家の谷の入り口まで専用の乗り物で向かう。
    こういうの、楽しい。

    王家の谷は入場料を払うと3つのお墓を見ることが出来る。
    各自好きなお墓を!というツアーもあるようだが、私たちはガイドさんの説明を聞いて
    みな同じ3つのお墓に入った。ラムセス4世、1世、9世だ。

    どれも中では写真撮影が禁止なので目に焼き付けるしかないのだが、
    壁画が綺麗に残っていて驚く。
    別のチケットを受け取ってツタンカーメンのお墓にも入る。

    この後、トイレ休憩を兼ねて一般家庭を見学に行く。
    一般家庭ではあるけれどアラバスターで花瓶やら飾り物を作っていて、販売も兼ねている。

    アラバスターとは雪花石膏で、ランプシェイドにすると柔らかい綺麗な光で周りを照らす。
    販売していた商品のほとんどが食器や飾り物で、ランプシェイドは
    目に付かなかったのだけれど、きっとあったのだろう。ひとつ買ってもよかったかな。

    そろそろお昼?と時計を見たらまだまだお昼まで時間があった。
    これからハトシェプスト女王葬祭殿に向かう。

    ハトシェプスト女王葬祭殿に到着した。
    ここも電気自動車に乗って入り口付近まで移動する。

    2007年6月に発見されたミイラがハトシェプスト女王であると断定された。
    【Rの刻印】を読んだお陰で身近に感じる女王であるが、葬祭殿を見るのは
    なんとも複雑である。

    997年11月、ルクソール事件の現場となり外国人58人を含む62人が亡くなる事件が発生し、
    その中には多くの日本人新婚旅行者も含まれた。
    その場に立ってみると逃げ場が何処にもないのがよくわかる。

    ここではメトワリさんの説明を聞いた後、フリータイムとなった。

    カメラ(一眼)を構えていたら、ガラベーヤを着た人にここを撮れ、あそこも撮れと
    ついて来られた。確かに言われるところ全て、なるほど!と思うようなところなのだが、
    このまま撮り続けた後には何が待ち受けるのだろう。なんとなく不安になる。

    【ラスト】の声でシャッターを切った後、待ち受けていたのはバクシーシの連呼だった。
    いや、正確にはこの時は何を言われているかわからなかった。
    ボソボソとつぶやくようなモノ言いなのだ。
    かなりしつこくついて来られ、【ショクラン】とこちらも連呼して逃げてきたが、
    私に隙があったんだろう。反省する。

    2階にあがる。修復が行われていたが、修復といよりは解体では?と思うような
    ドリルの使い方をしていた。この後、どうなったのだろう。

    これでお昼かと思いきや、まだ見学があった。メムノンの巨像だ。
    ここは写真撮影だけ・・・という事で下車5分で撮影タイム。

    そしてようやく昼食となった。

    【旅行時期】2009/01/19~2009/01/19
    【エリア】エジプト
    【テーマ】
    【投稿者】神無月。

    '02 シチリア島と南イタリア周遊~(6)ポンペイ(by ニコイチさん)

    石膏
    カプリを出て次なる目的地は古代都市ポンペイの遺跡。
    2000年も前のヴェスーヴィオ火山の噴火により
    火山灰の下に埋もれてしまった町です。

    ローマ人の別荘地として栄え、その人口は2万人にも及んだとか。
    繁栄を極めたこの町は火山の大噴火で死の町と化し、
    灰に埋もれて歴史からも消え去ってしまいました。
    遺跡の様子を見ると当時の人々の豊かな暮らしを垣間見ることが
    できます。
    また、亡くなった人の石膏の型を見ると苦しかった死の様子と
    火山の大噴火の恐ろしさも伝わってきました。

    【旅行時期】2002/04/21~2002/05/01
    【エリア】ポンペイ
    【テーマ】
    【投稿者】ニコイチ

    ジョルジュ・サンドの小箱 ☆パリ市立ロマン派美術館☆(作成中)(by コクリコさん)

    石膏
    パリ、モンマルトルの麓ピガールから少し入ったrue Chaptalにロマン派の画家アンリ・シェフールが1830年になくなるまで30年間住んでいた館があります。

    アンリ・シェフェールはロマン派を主張する文化人・・・ドラクロワ、ジョルジュ・サンド、ショパン、リスト、ロッシーニ、フロベール等・・・19世紀のパリにおける知識人、芸術家を自身の館に集め議論を楽しんでいたそうです。

    その館が現在パリ市立ロマン派美術館として公開されています。

    このミュゼには、シェフェール=ルナン館と呼ばれる魅力的な本館(常設展示)、アーティストのための2つのアトリエ(企画展など開かれている)と小さな庭園があります。


    本館の常設展ではジョルジュ・サンドの孫により寄贈された彼女が書いた手紙やゆかりの品々も展示され、サンド好きには必見の美術館です。


    ★パリ市立ロマン派美術館
    16 rue Chaptal Paris

    アクセス メトロ≪サン・ジョルジュ≫、≪プラス ブランシュ≫
    開館   月曜、祝祭日を除く毎日10時~18時。
    入館料  常設展無料。
    写真撮影  可(フラッシュ不可)



    ☆写真の石膏はショパンの手首とジョルジュ・サンドの腕です☆


    作成中。

    【旅行時期】2008/09/12~2008/09/12
    【エリア】パリ
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】コクリコ

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    清岡卓行 石膏(せっこう)

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    ... 2階LDK部分の壁石膏ボード貼りを予定しているので、 先ず2階を片付けました。 スッキリしました。 で、1階最後に残った洗面所兼トイレの天井の石膏ボード貼りをしました。 電気配線が壁に出て来ないように、電線の太さ分 3ヶ所ノミで溝を彫っ ...

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    石膏とは?

    石膏(せっこう)は、硫酸カルシウム(化学式CaSO4)を主成分とする鉱物。
    硫酸カルシウム(無水物)は、融点1450℃の無色の結晶で水にほとんど不溶。比重2.96。カルシウム塩水溶液と硫酸塩水溶液との複分解により、66℃以下では無水和物、それ以上では2水和物CaSO4・2H2Oが得られる。
    また、水酸化カルシウムと硫酸の中和によっても得られる。(沈殿)
    \rm Ca(OH)_2 + H_2SO_4 \longrightarrow 2H_2O + CaSO_4
    天然には硫酸カルシウムの1/2水和物がバサニ石(Bassanite)、2水和物が石膏(Gypsum、CaSO4・2H2O)、無水物が硬石膏(Anhydrite、CaSO4)として産する。
    これら硫酸カルシウムの各水和物および無水物を一纏めに「石膏」という場合もあるので注意を要する。

    石膏の詳細